No.55  楽しかった6年間

大里 恭平  平成25年2月 著

僕は1年生のときに、グリーンファイターに入りました。

最初は緊張したけど、コーチ達や監督にやさしく指導してもらって緊張感がほぐれ、だんだん野球が楽しくなりました。それから僕は一日も休まず野球に行くようになりました。

3年生になるとチームメイトも増えて試合が出来るようになりました。僕はピッチャーをやることになり、大作監督にピッチングフォームを教えてもらい、3・4・5・6年生で背番号「1番」になりました。僕はこのチームメイトで優勝したいと思い、みんなで優勝を目指しました。

5年生の時には3位や2位のトロフィーをいっぱいもらい優勝に近づいてきました。6年生の夏になると、FTJ・高郷スターズ・藤上ディアーズの3チームに勝ち、10年ぶりに県大会に出場しました。

僕はグリーンファイターのユニフォームの横の船橋を千葉にしようと県大会優勝を目標にしました。1回戦は勝ち、2回戦は負けてしまいました。僕はグリーンファイター最後の大きい大会に優勝出来なく「悔い」が残りました。

でもまだ冬にチャンスがありました。船橋シニア杯という大会です。僕は今度こそ優勝してやると思い、内野シャークス・県大会で3位になった習志野台ワンパクズ・夏に負けて悔しい思いをした夏見台アタックス・大穴ペガサスに勝ち、なんと優勝しました。しかもみんなのおかげで「最優秀選手賞」と優勝ピッチャーになりました。

僕はあの夏の悔いがなくなりました。うれしかったです。

でもこのチームでやるのが最後でした。みんなに感謝しています。この経験をこれから先にも生かしていきたいです。ありがとうございました。


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