No9  お母さんが語る少年野球!!

小雪ふる 2003/2/16 収録

きれいなママ放談 <その2>

グリーンファイター6年生のお母さん5人にお集まりいただき、少年野球の思い出について話し合っていただきました。
                                

-- 4年生から公式戦など、試合が増えてきましたね。

E やっぱり一番の思い出は、3・4年生大会で決勝戦に出たことですね。海神スパローズとすごくいい試合をしました。 私、自分でスコアつけてたんですが、レベルの高い試合にびっくりしました。負けてくやしかったですけどね。

-- 0−1で負けましたが、ゆかり(斉藤友夏莉)が、すごいピッチングをしたよね。

D 相手の投手(蛙前君)もよくて、両チームともほとんどミスがなかったですね。でも、新聞には、優勝チームのことより 女子投手としてゆかりのことばっかり書いてありました ね。

D 海神スパローズとは、ジュニアリーグでも戦っていたので、相手の子がうちのことを「西習志野・・・・・・・グリーンピース」 といえば、うちの子供たちは「・・怪獣・・・ スパゲ・ッ・・・テイー」と呼んで、冷やかしあっていたんですよ。(笑い)

A キャプテンのたすくは、試合後も悔しがっていましたね。

B いいキャプテンだったよね。えらぶるわけでなく、そうかといってたよりないわけでもない。みんなの中間をとる バランス感覚がすばらしかった。

A キャプテンをめぐるトラブルも全然なかった。

E 3年生からずっとキャプテンをやったんですが、親ながら感心します。6年生でアメリカ・ヘイワードに行かせてもらったんですが、 そこでキャプテンを選ぶ段階で子供に「やってみれば」と言ったんですが、「やりたくない」と言ってました。 ああ、これが本音なんだな、と思いました。やはりチームでのキャプテンは、彼なりに重圧があったんだと思います。 最後までやってこれたのも、チームのみんなが助けてくれたのが、大きいと思います。

A キャプテンに限らず、悔しくて泣いたりしたりすることがあっても、誰を責めるということが、なかったよね。 エラーしても「ドンマイ・ドンマイ」って言って、絶対責めたりしないもんね。みんな仲がよくて、チーム全体が、すごく雰囲気がよかった。

-- その辺は、監督・コーチが上手に指導したんですね。

B 大人の監督・コーチの間がうまくいって、あとをひくようなトラブルがなかったというのが、根本にあるんだろうなと思います。 大人同士が仲いいから、子供同士も仲がいい。

-- 夫婦仲がいいと、「いい子」ができる、という私の持論と同じですね。

一同 えっ・・・。

-- 5年6年の時の思い出は、どうですか。

D 次から次と試合があって、今何の試合なのかわからないくらいでしたね。

B 6年生の時の船橋東警察署長杯と夏の大会に優勝して、県大会ろうきん杯でベスト8に入ったりしたんですが、ほとんど見に行ってますよ。

一同 私も。だから何が何だかわからなくなってしまった。

A 県大会でうちの子がレフトオーバーのホームランを打ったんですが、次の日の朝「新聞に写真出てるよ」と聞かされて、 急いで千葉日報を買いに行きました。1部はおじいちゃん・おばあちゃん用、1部は家に貼るため、もう1部は保存用に全部で3部買いましたよ(笑い)。 あとで聞いたら、おばあちゃんも前原の駅の売店まで行って、3部買ってきたそうです(笑い)。でもオチがあって、出てたのはホームラン打った打席での 「後姿」でした。うちの子は、6年最後のFCC大会決勝で習志野サンデーズの永田君からレフトへ大飛球を打ったんですが, 結局フェンスに当たってホームランにはならなかった。そんなオチがあるんですよ。ヒーローにはなりきれないんです(笑い)。

-- 中学・高校でヒーローになる「序曲」かもしれませんよ。

B 夏は特に忙しかったですね。夏の大会、県大会、市原の大会があるうえ、うちの子は陸上の県大会もあったんです。 さすがに娘も最後は「疲れた」と言っていました。でも、投手なのに肩やひじを壊さずにこれたのは、無理した使い方をしなかったためで、感謝しています。

-- わが子の活躍の思い出はどうですか。

C 3年か4年の時、前原サンライズとの試合で中野木小の3階の窓ガラスまで打ったこと。それと、6年の船橋シニア杯でライトを守っていた時に、 右中間のライナーをランニングキャッチしたのが、特に印象に残っています。

E うちの子は、バントがうまく、野球から帰って「今日ぼくバントを決めたよ」と報告してくれる顔がすごく「いい顔」で、 私までうれしくなりました。親ばかですが、足も速く、常に次の塁をねらっている姿勢が、野球が好きでしょうがないというふうに、 こっちまで伝わってきました。

D 活躍の話ではないんですが、5年の時、ひじを痛めて「やめたい。やめたい。」と言ってたんです。が、 私は「いままでいい思いしてきたんだから、ひじが痛かったら控えに回って、みんながいいプレーできるよう手助けして、 みんなと一緒に卒業までがんばりなさい」と言いました。でも、みんながキャッチボールしている後ろで、こぼれたボールを拾っている姿を見たときには、 ちょっとかわいそうになりました。

-- 6年では、ひじも治って、ショートでいいプレー見せてくれました。実力はピカ一で、船橋シニアからの入部勧誘がすごかったもんね。


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