No14  かけがえのない時間

(2006年3月/母K)

入団のきっかけは柴田コーチの熱心なお誘いでした。長男がすでにお世話になっていたこともありますが、 仲間を作る良い機会になることと、団体生活の中で何かを見つけて欲しいとの思いだけでの入団で、この頃はまだ 「感動・達成感」なるものに出会うとは想像もできませんでした。
そんな息子がベテラン監督に「宇宙人」とサブネームを付けていただいた3・4年生の頃、遊びを取り入れながらの 楽しい野球で過ごしていました。今思えば、この時期があったからこそ、6年最後の最後にミラクルな結果を生み出したに 違いありません。

5年生になって、メンバーが増えたことによって息子の心に変化が見えてきました。言葉少ない彼が 「休まず練習すれば試合に出られるよね?」と聞いてきたその言葉が、それまではやる気がないものと思っていた私の頭に、 衝撃を走らせました。この時から私の心に「絶対勝たせてあげたい!」という気持ちが芽生えてきたのです。 6年になって、ベテラン監督から新人監督へと替わった時、保護者会・世話役としてサポートしていくことを決意しました。
勝利への突破口がなかなか見つからない中、私は、まず指導者・保護者との一体感を第一に考え、監督の意向を保護者に伝えました。
しかし気持ちとは裏腹に、本番で力を発揮できない子供たち。あきらめムードの親たち。猛暑の中、大男がゲキを飛ばして子供たちは 真剣にくらいついていっているのに・・・。このままで終わる訳には行かない。何かを形にしなければ!!
そう思って思いついたのが、子供・指導者・親のAチーム全員の気持ちや決意、激励などを書き込んだ「のぼり」の製作でした。

YCリーグ・グループ2位通過で臨んだ決勝トーナメント1戦目。強豪宮本ビーバースを相手に、ひるむことなく果敢に挑む子供たち。 声援を送る応援席には、あの「のぼり」がはためく中、12人の子供たちの保護者全員が初めて勢ぞろいしていたのです。 まさに全員野球がかなった記念すべき日でした。
この試合は勝ったものの、残念ながら準決勝で痛恨の敗退となりました。しかし、これがバネとなり、その後の活躍につながったのです。
卒団ムードが近づいてきた12月。突風と厳寒の中迎えた船橋シニア杯準決勝戦では、震えながらも声を出し戦っている子供たち。 誰もがたくましく成長していました。そしてピンチを全員でしのぎ、まさかの決勝進出。決勝戦では、夏季大会でコールド負けを喫した 法典コンドルを相手に劇的な逆転勝ちをおさめ、歓喜の初優勝!子供も監督も親も、みんながうれし涙を流したのです。
年が明け、強豪ぞろいの若生杯でも、相手のペースにのまれることもなく、自分たちの野球だけを信じてプレイし、実力の2連覇! 最後の卒業記念親善大会でも、チームのモットーである「楽しむ野球」で圧勝の3連覇!

初めはわが子だけを追いかけていた自分が、知らず知らずのうちにすべての子供たちを心から応援していました。息子だけではなく、 私にも素晴らしい仲間が出来たのです。
心身ともに鍛えていただき、遊ぶ時も子供のように真剣だった監督・コーチの方々。暑さ寒さも共に過ごして来た愛情たっぷりの母たち。 そして何よりも素晴らしい時間をプレゼントしてくれた12人の戦士たち。
みんなみんな、伝えきれないほどの感謝を込めて、心から御礼申し上げます。本当に本当にありがとうございました。


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