No5  我が息子へ

(2002年3月/母)

今でも脳裏に浮かぶのは、忘れもしないあの11月25日、FCC大会準決勝戦。対前原エイトマン戦のマウンド上には、 我が息子の姿。5対3と2点リードして迎えた6回裏。誰もが次週の決勝戦を思い描いていた。最後の公式戦とあって、 エラーひとつない本当にいい試合だった。二死満塁となって、「さあ、あと一人だ!」と声を張り上げるベンチ。 渾身の力をこめて投げた息子の一球。次の瞬間、白球は快音と共に空高く舞い上がり、はるかかなたライト後方へ。 一瞬何が起こったのか??。「頭の中が真っ白になる」とはこのことだろう。敵ながら見事なホームランだった。

泣いてはいけない、泣いてはいけないと思いながらも、母親の私が先に泣いてしまった。マウンド上の息子は、涙をこらえ、 深々と帽子をかぶり直し、次の4番打者をサードゴロに打ち取って、マウンドを降りた。この瞬間、息子のグリーンファイター での6年間の野球生活は終わった。

その夜、息子は布団の中で泣いた。思いっきり泣いた。私は、心の中で「よく頑張った。よく頑張った」と何度も音にならない 言葉をかけた。

息子がグリーンファイターにお世話になるきっかけは、まだランドセルがピカピカだった1年生の6月のことだった。 松崎代表が配っていたというビラを大事にかかえて持ってきたのは、まさにそれで、昨日のことのようだ。 「入るのはいいが、途中で投げ出してはだめだぞ」という父親の言葉を忘れずに、暑い日も寒い日もグチを言わずに 頑張り通した息子を、今はたのもしく思う。ひいき目に見ても、決して野球センスのある方ではない息子が、6年間頑張ってこれたのも、 松崎代表・山田監督を始め、いろいろな方々にご指導いただいたおかげだ。

投手を始めた頃は、見ている方がつらいほど緊張して、思うような球が投げられなかったようだ。四球四球の連続で、 何度も投手なんかやめたいと思ったに違いない。それがいつの頃からだろう。マウンド上の息子の姿が堂々としてきたのは?。 ただ単に、おなかが出てきただけではあるまい。

「つらいことから決して逃げてはいけない」「努力すれば必ず目標は達成できる」と野球を通して教えてくれたグリーンファイター。

そしてもう一つ。あの最後の試合が終わってから、子供たちがみんな思いっきり泣いていた。あれほど泣いたあの子たちを 見たことがなかった。それほど悔しかったはずなのに、誰一人として、打たれた投手を責める子はいなかった。うれしかった。 (みんな、ありがとう)これが、山田監督が教えてくださった「チームプレー」そして「仲間を思いやる心」なんだと実感した。

グリーンファイターに入って本当に良かった、と心より思う。本当にありがとうございました。子供は、学校や親の力だけでなく、 こうしていろいろな方々に囲まれて成長していくんだなと感じた6年間だった。

負けてばかりの球場、おなかをこわしてトイレを探し回った球場、長年の宿敵を倒して大喜びした球場、そしてなつかしい 芝山グラウンド、と思い出はつきない。家事も夫も放り投げて、グラウンドに通った母の日曜日も終わってしまった。

最後に、我が息子よ、たくさんの感動をありがとう!!!


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