No43  素晴らしき日々

(2021年2月/母)

引っ越してきて小学校で野球をやっていると聞いて、「行っておいで―」と軽い気持ちで3人の息子たちを送り出し、帰ってきた息子たちは帽子をかぶって嬉しそうに「合格だってー」と笑っていた。あれから4年・・・本当にあっという間に駆け抜けた日々でした。

引っ越してきて、もちろん周りは知らない人だらけ、ママ友もいない。当番とか正直面倒そうだなぁ…。そんなことを思っていたから、全然グラウンドにも見に行かない。顔も出さない。本当に迷惑な親だ。それでも、子どもたちを受け入れてくれる寛大なチームでした。

私が子どもたちに野球を進めた理由はただ一つ。

主人との接点を持たせたい。こんな不純な理由でした。
 仕事人間の主人は休みがないほど忙しく、それゆえ、子どもと顔を合わせる時間が極端に少なかったため、どうにか子どもの方に目を向けてほしいと私の願いから子どもたちに野球を勧めたのでした。

野球のルールも知らない私は、少年野球の母は大変というのを知るのはそのあとだった。毎週砂だらけで帰ってくる3人の息子たち。ユニフォームを洗うのにも日付をまたぐこともしばしば…重さで洗濯干しが何個壊れたかもかわからない。汚くなる玄関。お風呂も砂だらけ。お米も20日で30キロ消費する。疲れて帰ってきて、片付けもしない息子たち。
 爆発し何度「やめてしまえー」と言ったかわからない。

私の不純な動機で始めたことだ…。誰のせいでもない。何度も自分に言い聞かせた。

チームの方に「実は…主人…昔野球をやってたんです…」と小声で伝えていたため、パパコーチとして登録してもらえた。とはいえ、初めは仕事が忙しくて全然グラウンドには来てもらえなかった。

「お宅の親父、いつくるの?」何度冗談交じりに聞かれたことだろう…。

長男が最終学年の年、主人がグラウンドに来るようになり家族が毎週グラウンドにいるのが当たり前になった。試合のビデオを見ては笑いながら食事をしたり、チームの家族を呼んで一緒にご飯を食べて話をしたり、今日の練習はこうだった、あーだったと話しながらお風呂で騒いでる子どもと主人
忙しいながらも、本当に充実していて、幸せな日々でした。

年子の我が家。長男が卒団して、さー最後の年だ!!
 そう思った矢先…。コロナで大変な世の中になってしまい、練習、大会も思うようにできない日々が続いた。子どもたちにとっては最後の年どんな年だったのだろう…。
それでも、長男と一緒に一生懸命Aチームでやり抜いたあの1年があったから、とても充実した少年野球時代だっただろう。
 グリーンファイターに入団させてもらい、我が家が変わりました。

家族の会話が増え、野球を通じ私は主人を以前よりも増して信頼し、頼りにすることが増えました。
 少年野球の母親は大変。それは、変わらないかもしれないけど、我が家はそれ以上に得るものの方が遥かに大きかったです。

家族でグラウンドに居られたのもグリーンファイターだったから。

息子が投げたボールを主人がうけたり、主人が投げたボールを息子が打ったり。
 試合のビデオを撮ってもどこかに家族が映り込む。

夏の暑いグラウンド。寒いグラウンドでみんなで食べた豚汁。毎週作る8個のおにぎり。今となっては良い思い出です。

親が一緒にできるのは少年野球まで。手伝わせてくれて、本当に楽しい思い出をありがとう。

そして、子どもたちのために毎週グラウンドに来て下さったGFの指導者の皆様、本当に素晴らしい経験と思い出をありがとございました。親子共々、成長させていただきました。
 我が家のGFの4年間はとても幸せで素晴らしい日々でした。
 ありがとうございました。


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